「容疑者Xの献身」二回目

再び映画館に足を運んできました。リバイバルでなくロードショー時に二回同じ映画を観るのって、ええと、学生時代に二度あるけど、それ以来かな。
先日映画を観た後に三年ぶりに原作を再読。その上での感想を改めて。
これ、脚本がすごく上手いです。かなり大胆なトリックを説明しなくちゃならないんだけど、伏線もきちんと表示してあるし、最後のカタルシスもある。映画化に際して原作を変更(といっても警察の面々以外はほとんど原作通りなんだけど)した部分が全く原作を損ねてないのがすごいよなあ。
冒頭の実験シーンとエンドロール最後のテーマソングは、テレビファンへのサービスでしょうか。
ちょっと話が逸れますが、映画の宣伝でとある女子が「私も献身されたーい」と云ってたんですけど、‥そうか?献身されたいか? これはちょっと、重くないか? 最初に原作を読んだときに感じたのは、石神の純粋な愛に感動というよりは、どう転んでも幸せになれない彼に対する切なさ、悲しさだったけど。
さて、以下ネタばらしになるので、未読・未見の方はご注意あれ。(10/18 追記あり
(→ここから)
・最初に観たときは、石神役の堤真一のあまりの完成度の高さに、主役の福山雅治が押されていると感じたんだけど、いやいやどうして、彼の湯川役も頑張ってました。学生時代から天才と認める友に再会し喜んだのもつかの間、石神の些細な表情や言葉を敏感にキャッチし、事件の真相を知って苦悩する。うん、改めて観ると、彼の表情はきちんとその場その場で適切に変化していました。
・一番の疑問だった雪山シーン。雪山である必然性はやっぱりよく分からなかったけど、なるほどあそこは真相に気づいた湯川を石神が殺すんじゃないかと、観客に緊迫感を持たせる目的があったのね。短いツルハシみたいな登山用具をわざわざ映したり、吹雪の中に置き去りにするのかと思わせたり。(実際、殺意はあったのかもしれない) 
・頂上に着いたときに「美しい!」と興奮するのが、声が上ずっててどちらのセリフかよく分からなくて、最初に観たときは湯川だと思ったんだけど、実は石神だったのか。「最後の山」というセリフも後で効いてくるし、首吊りの紐が登山用ロープであることもつながってるし、惜しむらくは「クライマーズ・ハイ」と堤真一つながりでかぶること、だなあ。
・隣の部屋で大きな物音がしたとき、すぐ駆けつけていればこんなことには‥、いや、石神には無理だなやっぱり。
松雪泰子もほんとに上手い。後半どんどん目が充血してくるのね。娘役の金澤美穂(えっ、デビュー作なの!)もとても良かった。元夫役の長塚圭史もいかにもイヤな奴で存在感あり。
・冒頭の弁当屋のシーンで、客のひとりに「師走に入っちゃったねえ」と云わせてる。犯行が実は12月1日に行なわれたことを最初にちゃんと示しているわけね。ベンチのホームレスがいなくなったのもきちんと映してるし。こういう部分、とっても好感持ちました。
・原作の石神に外見が近いダンカンをわざわざ工藤役で使わなくても、という声もあるようで。まあ、云われてみれば確かに(笑)。もっとも福山、堤と来てあそこにもうひとり二枚目俳優は配せないでしょう、バランス的に。靖子と工藤のシーンが原作ほどには多くないので、許容範囲じゃないかな。
・最後、美里の自殺未遂を出さなかったのは良かったと思います。石神の自首を知り、手紙を母娘で読みながら涙する時点で、これではいけないのではという迷いが生じている。それが、湯川から真相を聞いたことによって靖子自ら警察に赴く決意ができる。つまり、湯川の役割が原作よりより大きくなっているのね。
・湯川と別れて警察の廊下を歩く石神。靖子に宛てた手紙の内容が流れる中での堤真一のなんとも云えない優しい表情がすごくいい。そしてあの慟哭、何度観ても心が震えます。本当に顔色が灰色になってる。
・石神が最後の指示を書いた茶封筒の手紙が直筆だったでしょ。靖子があれを捨てなかったら証拠になってしまうわけで、なぜ石神ほどの人物が印刷の文書にしなかったのか疑問でした。もしかして、石神の論理の中には靖子が警察に出頭するという選択肢は全く存在しなかったのかな。
・ラスト、原作には「絶望と混乱の入り交じった悲鳴」とあって、それは彼がこれほどの犠牲を払って成した計画が水泡に帰してしまったことに対する感情だと思うんだけど、心の奥底(石神は気づいていないかもしれないが)では靖子が来てくれて嬉しかったんじゃないだろうか、と思う。
・獄中の石神が、天井の染みから四色問題を考えるシーン。「隣同士が同じ色になってはいけない」というセリフが、花岡母娘と石神のことを暗に指しているようでもあり。これは原作を読んだときには気づかなかった。
・エンディングテーマの「最愛」、柴崎コウは歌が上手いなあ。福山雅治の歌詞も言葉遣いはまあともかく、内容が映画に合っててよくできてます。ただ、都心の空撮よりもっと絵になる映像はなかったのかと、ちょっと残念。
(追記)・時期を三月から十二月に変更したのは、単なる撮影の都合かもしれないが、華やかなクリスマスイルミネーション、静謐な聖歌隊、舞い落ちる粉雪などが効果的で、良かった。昨今の三月は、マフラーに顔をうずめるほど寒くないしね。
・警察に靖子が来る最後の場面、原作だと湯川は石神の近くにいるんだけど、取調室にいるままにして良かったと思う。ただ、あれだけ長い距離歩いて、階段も下りて、それにしてはよく声が聞こえたもんだ(笑)。
・他のブログにあった意見に対する私の考え、その1。「大学に残って研究の道をまい進している湯川と、数学者となる夢破れた石神。湯川が成功している姿を石神に見せ付けるのは、嫌がらせではないのか」 いや、他者と競うことに意義を見出さない人っているんですよ、特に純粋な学者さんには。石神が人生に絶望した時期はあったけれど、それは他者と比較してのことではなく、あくまで自分自身に対してだったと思う。原作にも、湯川の功績に「素直に感服した」ってあるし。他人をうらやんだり足を引っ張ったり、もちろんそういう器の小さい研究者もいるけどね(笑)。
・その2。「湯川は、石神を友達と思うなら、彼の計画を完遂させてやることが思いやりではなかったのか。何故靖子に真相を告げたのか」 石神の思いは充分に知りつつ、彼の払った犠牲の大きさを靖子が知らないでいることは「僕には耐えられない」と、湯川らしからぬ苦悩の表情を見せ草薙を驚かせる、原作にはそんな描写があります。そしてやはり、真実と人の気持ちとでは真実のほうに重きを置いてしまう、いかにも物理学者らしい行動だと思うな。
・その3。「天才同士の対決に見えない」 そうかなあ? あれだけの計画を瞬時に考え出した石神と、それを些細な糸口から看破した湯川。頭いいと思うけどなあ。

(映画館にて鑑賞)