「チェンジリング」

C・イーストウッドの監督作品を観るのは実は初めて。手堅い演出ながら2時間22分の長尺をまったく飽きさせることがなく、流石だった。ぎりぎりまで抑えた色調、1930年代のロスを徹底的に再現したセット、静かに心に染み入る音楽(監督は音楽も担当したらしい)、いずれもとても良く出来ていたと思う。
今回劇場に足を運んだ一番のお目当ては、主演のアンジェリーナ・ジョリー。先日観た「ウォンテッド」がなかなか良かったので、彼女の出演作をまた観てみたいと思ったわけで。もちろん役柄は全然違って、「ウォンテッド」は完全無欠のマシンみたいな女性、今回は等身大の母親役。背が大きくモデル体型なので、たまーに無敵だった前作の影がちらつく(笑)ものの、けっして強くはない、けれど必死に耐えて折れずに頑張っている普通の女性を繊細に演じきっていた。こちらも流石。「警察相手に戦いたいのではない、ただ息子を取り戻したいだけ」というセリフがすごく印象的。
(映画館にて鑑賞)
以下、結末に触れています。
 
 
 
スクリーンが暗転しエンドロールが流れると、号泣ではないにしろ涙が一筋、そんな映画だった。結局息子は帰ってこないの?クリスティンがあまりに可愛そうで報われねー(泣)。猟奇殺人者が絡んでくることも、結局息子ウォルターは帰ってこなかったことも事前に知らずに観てたんで、スクリーンの中の彼女と同じく一縷の希望を抱いてずっと最後までいたのだが‥。うう。
息子が見つかったとの知らせを受け駅に迎えにいくシーンで、汽車の到着を待ちきれずに走り出す主人公に、警察の人間が「女だなあ」と鼻で笑う、その短い一言が時代を象徴しているように思えた。1928年というと昭和3年、その頃はアメリカもまだまだ女性の地位が低かったんだなあと。主人公は仕事の上でも有能(あのローラースケートは笑っちゃったけど)で、主任の地位に抜擢されたほどなんだけど、シングルマザー。もし彼女に夫がいて、しかもそれなりの地位のある人物だったら、警察はこんなバカな工作は絶対やらなかったと思うわけ。女一人だったから、いくらでも云いくるめられると侮っていたんでしょうなあ。
これはクリスティンにしても同様で、たった五ヶ月で息子が分からなくなるなんてあり得ないのに、いったんは警察の云いなりになってアーサー少年を連れ帰る。やっぱり違うと警察に訴えるときも、どちらかというと弱腰で、声高に相手をののしったりしない(もちろん、下手に騒ぎ立てて相手の機嫌を損ねたら得策でない、との思いもあっただろうけど)。突然精神病院に収容されるときですら、わなわなと震えるだけ。彼女が映画の前半で唯一「息子を返して!」と大声で叫ぶのは、幼いアーサー少年に対してだけなんだよね。警察や医師という権威ある男社会に対してはそこまで強い態度は取れない。それが、病院内でキャロルという売春婦と出会ってからだんだんと変わっていく。警察内部を調べる諮問会や殺人犯の裁判を傍聴し、殺人犯と面会し、処刑にまで立ち会う。そうした強さは、おそらく事件の前だったらあり得なかったのではないかなあ。
腐敗しきった警察を嫌悪するのはもちろんなんだけど、一番の協力者の牧師に「もう息子のことは諦めなさい」と云われるところや、最後のほうで殺されずに逃げおおせた子どもが発見されるところも、観ていて辛かったなあ。今の自分の人生をもっと大切にしなさいという、しごく当たり前の言葉かけではあるんだけど、母親の気持ちを考えると、一番の味方にそれを云われるのはたまらないよね。生還者がいたことをクリスティンは「hope(希望)」と云うんだけど、それも「どうして彼女たちの子どもは帰ってきたのに、私のウォルターは帰ってこないのか」という思いを乗り越えての言葉。笑顔の裏の引き裂かれるような思いを考えると、やっぱりたまらなかった。
仕事は順調、理解ある上司とのほのかなロマンスもうかがわせ、アカデミー賞の行方に歓声を上げる(ということは、友人と映画へ行くなど、楽しいこともいろいろあるわけで)クリスティン。彼女が立ち上がったことによって、警察上部の人間は辞職に追い込まれ、市長は選挙への出馬を断念(敗北だっけ?)、殺人犯は絞首刑と、世の中は確実に変わっていった。けれど彼女自身には、息子が帰ってこない限り決して、真の救いは訪れないのだ。切なく、しんどい映画でした。でも良かったよー。

深川さん(id:tuckf:20090221)は、主人公について「本篇の絶妙なところは、彼女の抱く疑念にほんの僅かだが違和感を漂わせていることである。必死に我が子ではない、と主張する彼女の姿にほんのりと狂気を滲ませ、曖昧な部分を残すことで、意識的に彼女の直感に疑いを抱かせる。そのことが、母としての信念と狂気とを同時に感じさせ、物語としての牽引力を強めているのだ。」と書いておられて、へえと思いました。私は、主人公の疑念は終始一貫していて、それが揺らぐのは彼女自身の狂気ではなく、男社会に対抗できない女性の立場の弱さだと思ったので。男性と女性、見方が違うのかもなあ。